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IMAGINE

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「J'encore 再び、私に出会う」

ティーチャー・シリーズ シャウド12:
「J'encore 再び、私に出会う」 
クリムゾン・サークル 2007年7月7日

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そして、このように(And so it is)、親愛なるシャーンブラ、数ヶ月の空白を経て、私、トバイアスが戻って来ました。ともに過ごした驚くべき1年の後に、「ティーチャー・シリーズ」をシャウド12で締めくくりに、私たちが続けてきた8年目の年・・・ 7ではありません、8年です! ・・・私たちがともにやってきたシリーズの8年目です。当初は、これをレッスンと呼ぶことで始めましたが、それは当時、あなた方の意識がそのようなところにあったからです。そこを卒業して、この、いわゆる「シャウド」へと移りました。このマテリアルを今後、何年も、数世代にわたって聞いていく人たちのために、私たちすべてのエネルギーを集めたものです。ですから、私、トバイアスにとって、ここであなた方1人ひとりとともに、この美しいシリーズを締めくくるのは、光栄なことです。

重力(Gravity)

本当に・・・ 歌で歌われていたように(ジョン・メイヤーの「グラヴィティ」という曲)、私たちがシャウドに入るにつれて、通路をあなた方1人ひとりと歩きながら、そっと肩にふれながら、何人かの人の足を踏みながら、この音楽が演奏されている間に、少し、抱きしめたりしながら・・・ 本当に、あなた方のように私にも、重力を感じることができます。私にはいわゆる、この「殻の身体」があります。それは現在、地球上にあり、8年目を迎えています。う~ん、興味深いですね。私にはですから、重力を感じることができます。地球のエネルギーの重みを感じることができます。つまり、地球のエネルギーは、単なる物理的な重力だけではないのです。そこにはスピリチュアルな重力のようなものもまた、あります。それは、この地球という場所に、文字通り、存在を引き込むエーテル上の重力です。いわゆるこの、3次元というものが、そこに引きずり込んでしまいます。誘惑的なものです。いわゆる「パワフル」なものです。あなたを体験へと引き込みます - たくさんの、たくさんの生涯の体験という可能性へと。

いわゆるETや、エイリアンという存在たちは、必ずしも肉体を持たずに、地球上を歩き、地球へと生まれてしまう存在たちですが、彼らは地球に近づかない傾向があります。彼らはエネルギーの重力を、地球へと引き込む、このエネルギーを感じます。物理的な重力だけでなく、引き込み、ここにとどめてしまう、スピリチュアルな重力です - ここにとどめてしまうというのは、つまり、この地球にいるためのプロセスを、体験のすべてを、本当にくぐり抜けることになるということです。そうでなければ、短期間、ここを訪れて、去りたい、どこか別の場所に行きたいと思うでしょう。それは、あなたが自らのエネルギーと意識のすべてを体験するまで、そこから自分自身を解放するまで、あなたをここにとどめてしまうのです。

ええ、本当に、私には感じることができます・・・ 私のもとへ入って来るエネルギーを、サムと呼ばれる私の「殻の身体」へと入って来るエネルギーを感じることができます。つまり、天界の存在たちが地球のそばまでやって来る時でさえ、私たちはチャネリングのために、あなた方とシャウドをするためにやって来るわけですが、肉体に入るつもりがなければ、私たちはある種のライフライン(生命線)のようなものを設けます。セント・ジャーメインが、クツミが、他の誰かが来る時には、一連の、あるレベルの天界の存在たちが、その特定の天界の存在が地球のエネルギーにそのまま、引き込まれてしまわないようにするために、そこにいます。「新しいエネルギー」のこのプロセスへと人間を導く、という選択をした彼らの仕事が、非物理的な領域にとどまった状態でやれるようにするためです。

数の一致(Number alignments)

今日、先程行われたイントロダクションを、数についてのディスカッションを聞きながら、私たちは笑っていました。今日はそうですね、7の数の3重の日です。数というのが、あなたに何かをさせるわけではありません。数があなたの現実を創造するわけではありません。別の形で見て下さい。あなたがあなたの現実を創造すると、シンクロニシティ(共時性)やエネルギーの一致がそこにたまたま、起こるのです。

ですから、7の3重の日がここにあります。7の3重は、あなた方すべてにとって意味があります - エネルギーの、数秘学的な意味が。まるで、その時のあなた自身の人生に一致と変化の可能性があるのを知りながら、そこにたどり着く前に、道にツールを、贈り物を埋めこんだようなものです。そしてあなたがその地点に到達すると、この7-7-7の日のように、それがあなたにとって素晴らしく新しい、強力な意識の形態を開かせるのです。引き起こすのです。ある意味で、あなたはこの地点に到達することを知っていたと言えます。今、そこにたどり着いたので、あなたは自分に与えた贈り物を手にすることができるわけです。

9-9や、4-4、33、11のように数が並ぶ時は - このような一致はすべて、あなたのスピリットからあなたへのある種、ウィンク、うなずきのようなものです。あなたが人生において、一致を、シンクロニシティを認めているということを知らせているのです。このような数秘学的な一致を見たら、ただ、自分に微笑みかけて、あなたが本当に自分自身と一致しているのだ、と知れば良いのです。あなたは、あなた自身の情熱をこの地球で成就しています。あなたが選んだ最も高い可能性の道をあなたは進んでいます。他の人間たちは、このような数の一致のようなものは認めることさえありませんし、彼らにとっては、その根底にあるエネルギー的な意味を持たない、まったくの偶然にしか見えないかもしれません。でも、ここには独特の意味があるのが、あなたには分かっています。ですから、この絶え間ない一致を見ていて下さい。

一致は、ちなみに、今日、ここで聖書に書かれたこの数について触れておきたいと思います。6-6-6です。それを悪魔の数だと見なす人もいますが、6-6-6は、完結というものの完璧な一致です。それぞれの6が、あなたの重要な側面を表しています - 身体、マインド、スピリットです。これらが完全に一致すると、完結を意味します。古いサイクルの終わりを、そして新しいものの始まりを。まったく悪魔の数などではありません。もちろん、あなたが人々をコントロールしようとしない限りは。自分自身を怖れたり、自分自身の進化を怖れたり、自分自身の意識を怖れたりしない限りは。そうであれば、ええ、この「獣の刻印」と呼ばれるものを見ると、怖れに入ってしまうでしょう。あなたの内側にいる獣を怖れているからです。

でも、このような3つの数の一致を見て、あなたが自らのバランスの場所にいれば、自分自身に本物で、真実であれば、これを次のレベルに移るための完璧な一致として見るでしょう。3重の7や、このような実に興味深い様々な数秘学的な一致を見るのと同じように。

ですからたった今、親愛なるシャーンブラ、今日は途方もない量のエネルギーが用意されています。まるであなたが自分のためにそこに埋めたかのようです。あなたは、あなたがこの地点に到達すると - 時間や空間だけでなく、意識の - ちょっとしたベルが鳴るのだと自分に言い聞かせました。あなたがここにいる、というのを示すのだと。何らかの形で - これだけの混乱、霧、困難、道に迷った、というこれだけの信念を経て - 何とかあなたはここまでたどり着きました。

ですから、私たちはデイヴィッドに、私たちの「数のマスター」に(笑)、鳴らしてもらいたいと思います・・・ 彼はこれをするのを知りませんでした! ・・・チャイムを7回、鳴らしてもらいたいと思います。その間、それぞれのチャイムが鳴るたびに、呼吸をして下さい。これはあなたから自分自身への合図です。

数のマスター、始めて下さい。

(チャイムがゆっくりと7回、鳴る間、長い間)

一緒に深呼吸をして、この瞬間を認めましょう。私たち自身のこの一致の時間を認めて下さい。サイクルの完結と、新しいものの始まりというこの時間を、認めて下さい。

現在のエネルギー(Current energies)

あなたは絶え間ない進化と拡張において、渦を巻いて進む傾向があります。ただの円だけでなく、渦を巻いて。それは絶え間なく成長し続け、ある時点でそれが知る意識の内側でもはや渦を巻くことができなくなり、渦それ自体のパターンの外に出るのです。それが今、起こっていることです。とりわけ、私たちがこの「クォンタム・リープ」の時期に近づいている今。

時にあなたが軽視しがちなのは私たちも知っていますが、あなたはこのようなものを体験します。あなたはそれをクリアー(掃除)すると呼びますが、中には何かとてもひどい言い方で呼ぶ人もいます!(笑) 人生に嵐が巻き起こるのを見ると、あなた方のほとんどの人が、このような嵐は外側からやって来ていると感じます - 他の人たちから、世界的な出来事から、あるいはただ単なる不運だと - このような嵐はあなたの人生を突き進み、たくさんのドラマを、たくさんの混沌を引き起こします。嵐は、実際、まったく嵐などではありません。このような嵐は、ある意味で・・・ いわゆる嵐というのは、エネルギーを掃除する、ひとつの形です。あなたのエネルギーです - それはあなたです - あなたの意識です。でも、「新しいエネルギー」の形ではもうあなたの役に立たない意識です。

ですから、あなたの人生に物事が通り抜けていきます。変化が、適応が、クォンタム・チェンジ(量子的な変化)が - 私たちの愛すべきリンダの言い回しを使ってみますが。このようなものは、自然です。あなたは何か間違ったことをしているのだ、とスピリットが合図を送っているわけではありません。ただ、不運をもたらしているわけではありません。この時点で、意識の存在として、あなたは言うなれば、引き寄せられるわけではないことにお気づきでしょうか? あなたが外側から、不運を引き寄せることはありません。現在、あなたが引き寄せているものは、あなた自身の内側の変化しか、ありません。時に、このような変化は困難です。時に、このような変化は、あなたが自分に築き上げたパターンを分断することがあります。でも、変化のエネルギー自体が、あなたの意識の絶え間ない進化なのです。あなたの意識・・・ 現在、あなたがこの地球にいる最大の理由です - あなたの意識を進化させ、拡張することです。

意識のクォンタム・チェンジ(Quantum consciousness change)

変化は、素晴らしい形で入って来ることがあります。数日前、7-2、2-7の日に、その週の2番目の日に、驚くべき出来事が起こりました。ここにいる方の多くが、そこに参加していました。コロラドのブレッケンリッジの高い山の上で行われた「アセンション・スクール」に。

スクールのとても集中した3日間を終えてから、セント・ジャーメインは少し、間をおいて、直接的に語りかけました - とても、とても直接的に - あなた方1人ひとりに向けて。私は部屋の中にとどまりながら、そこに起こっていることを正確に感じていました。あなた方の多くが思いました。「あの部屋で、わずかなあの、かけがえのない瞬間に何が起こったのだろう?」 あなた方のほとんどが、何が起こったかを定義することができないでいました。でも、何かが起こったことは知っています。ええ、あなたは意識のクォンタム・チェンジを味わったのです。ですから、あなたのマインドが、そこで起こったことを正確に解明しようとすると、できないのです。マインドは現在、意識のクォンタム・チェンジを本当には理解していないからです。それ自身の範囲を、ノウイングネスを超えているからです。

セント・ジャーメインが話をした、このかけがえのない瞬間の間、実際、ただ、言葉で反映された以上のものが起こりました。その時点で、あなた方のすべてが、この変化が起こるのを受け入れたのです。あなた方はその部屋にいて、とても安全に感じていました。自分自身に実に愛情に満ちた焦点を絞り、さらにはこのアセンションというプロセス自体への新しい理解を持ちました。ですから、セント・ジャーメインがあなた方1人ひとりに直接、語りかけた時、彼はまた、あなたがした選択へと直接、語りかけていたのです - あなたが選んだ可能性へと。グループとして、あなた方は言いました。「私たち自身の意識において、クォンタム・リープをなし遂げよう、たった今。」 そしてそれは、あなた方の多くが滅多に体験することのない形で部屋中を流れました。あなたの身体に、マインドにそのまま流れこみました。あなたのマインドが少しの間、感覚を失ったように思えたのは、それが理由です。あなたの身体は反応することができませんでした。その特定の瞬間に、自分がどこにいるのか、その部屋で何が起こっているのか、理解するのは困難でした。

あなたは、意識の変化がそのままあなたを通して流れるのを受け入れました。そして、どうでしょう、そこには痛みはありませんでした。苦痛はありませんでした。人生でたくさんの奮闘を体験する必要もありませんでした。あなた方の多くが自ら、クリアーするプロセスで経てきたような困難をくぐり抜ける必要はありませんでした。最高だったのは、このかけがえのない瞬間の間、あなた方のほとんどが精神の限界から離れていたことです。あなた方のほとんどが、ただ、それが流れてきて、通り抜けるのを受け入れました。そして、意識のクォンタム・チェンジをなし遂げたのです。

あなたがそれをなし遂げた瞬間、あるいは実際、自らの人生にそれを認めた瞬間、その部屋のエネルギーは、拡がりました - ただ直線的にだけでなく、多次元的に - それはすぐに世界中のシャーンブラへと拡がっていきました。眠っている人もいれば、仕事中の人もいました。その時間に散歩をしていた人もいます。でも、ブレッケンリッジの7月2日午後3時を少し過ぎた頃、(訳注:日本時間で7月3日午前6時) 何かが起こり、それは私たちが持つ意識のつながりゆえに、世界中のシャーンブラに影響を与えました。それがすべての人のための可能性を創り出しました。実際にその時間にそこにいて聞いていようと、まったく違うことをしていようと。その瞬間にそれを体験して、こう言った人もいました。「たった今、何かが起こった。何かは分からないが、でも、起こった。」 1日、2日して体験した人もいれば、私たちが今、話している間に体験している人もいます。

でも、それは意識の、気づきの変化でした。それは自らをシャーンブラと呼ぶ人たちへと出て行きました。この意識の変化は今、残りの人類へと、天界の領域にいるすべての存在へと流れ出しています。彼らに押し付けられているわけではありません。彼らがそれを受け入れなくてはならない、ということではありません。無視することもできます。そのエネルギーを自分なりに歪めることだって、できるわけです。いわゆるとても利己的な、とても低いエネルギーの目的のために。でも、それは手に入れることができます。それは今、人類全体へ可能性として出て行きます。

意識のクォンタム・チェンジのこの体験は、あなたの人生にたくさんの作用を、影響をもたらすでしょう。第一に、それは、クリアーすること、変化をくぐり抜けることは、変化につきものの、たくさんの苦痛や精神的な混乱、これだけの緊張や不安を経なければならないわけではないことを味わわせ、気づかせてくれます。一瞬で起こることも可能なのです。そのエネルギーはあなたの人生で、新しい一式のツールになり、展開し始めます。微妙な形で現れ始め、そしてビッグな形で現れるようになります。あなたの日々の生活に統合され始めるので、夢やあなたのゴールや、望みがあなたの現実に一致し始め、入ってき始めるようになります。

あなたを長い間、苦しめ、悩ませてきた、疑問に答えるというようなものをし始めます。不意に、答がただ、そこに出て来ます。この共時的な「なるほど!」を受け取るたびに、この完結の、ノウイングネスの感覚を受け取るたびに、それがあなたから来ていることを覚えておいて下さい。私たちの誰かから来ているわけではありません。あなたは意識のクォンタム・チェンジを体験するのを、自分自身に受け入れました。あなたは、古い、困難なやり方を飛び越えて、直接、変化へと行くことを、自分自身に受け入れました。あなた自身の進化へ直接、行くことを。

気分(Mood)

さて、このようなクォンタム・チェンジは、問題点を提起します - あなた方の多くが長い間、直面してきた問題点を。そのうちの1つが、あなた方が「気分」や、「感情の揺れ」と呼ぶものです。これほど急速にこのような変化を体験する時はいつでも、あなたの残りの部分が追いつこうとします。その変化に参加しようとします。あなたの一部は、朝、目覚めて、少し悲しく感じることがあります。あるいは朝、目覚めて、自分の姿に居心地悪く感じることもあります。何かに怒りを感じて、それを頭から追い払うことができなかったりするかもしれません。これはただの気分です。あなたの人生に起こっている様々な変化に対する、内部反応に過ぎません。あなたが反応するのは、とても自然なことです。反応するのは、起こっている状況を観察するのはあなたの一部なのですから。

さて、よくあるのが、私たちが見るところ、あなたはこのような気分に入りこみ、実際、それをさらに強烈なものにしてしまいます。また、さらに困難にしてしまい、自分が陥っているムードを判断し始めます。あなたは自分に言います。「私は機嫌が悪い。でも、そうであるべきじゃない。私はシャーンブラなのだから。私はライトワーカーだから、不機嫌でいるべきじゃない。いつになったらできるんだろう? いつになったらこのすべてを受け止めて、穏やかで、幸せに感じて、至福の状態になるのだろう?」 ええ、至福は忘れて下さい! それは人工的な存在状態だからです。

さて、あなたはある気分に入りこんでいると感じています。何かに対してあるいは、落ち込んでいたり、心配しているのかもしれません。するとあなたは、その気分を修正しようとします。まさにそこで、ストップして下さい。自分の気分を、思考を、感情を修正しようとしているのに気づいたら、ただ、そこでストップして下さい。そんなことをすれば、ただ、さらなる混沌と混乱へと自分を追い込むことになり、実際、あなたが陥っているその気分をドラマ化してしまうことにしかならないからです。

あなたには、「良い気分、悪い気分」という古い考え方があります。「新しいエネルギー」では、そのようには作用しません。ええ、中には - いわゆる - あなたの人生にいる「古いエネルギー」の人間たちには確かに、そのように作用します。そのようなものをあなたは、彼らの中に観察することになるでしょうが、あなたにとっては、少し違います。自分の思考を、気分を、感情を修正しようと、改めようとしているその地点で、ストップして下さい。深呼吸をして、低い壁の裏に飛び込んで下さい。(笑) 低い壁は、あなたが自分自身を含めてすべてを観察することのできる場所です。低い壁は、中立の、安全な空間であり、そこには正しいものも、間違っているものもありません。善も悪もありません。肯定的なものも、否定的なものもありません。それは単に、そうなのです。

クツミが前回のギャザリングで言ったように、それはただの体験であり、「良い」「悪い」というものに二極化する必要はありません。「古いエネルギー」では、二極化するのは、ありふれたことでした。そのようにしてすべてが発生したからです。あなたはエネルギーを二極化したものです - たとえば、「良い」ものへと分極します ・・・ でも、「新しいエネルギー」では、そのようなことをする必要はありません。

あなたはある気分に入りこんでいます。いわば、「何をやってもうまくいかない日」です。でも、本当は、ついていない日だというわけではなく、その日の悪い部分という表現を自分に感じさせ、受け入れているだけなのです。あなたが見ていないのは、感じていないのは、その統一した状態(united state)で出て来るのを受け入れていないのは - 国のことではありません。存在の統一した状態です - その日の良い部分です。あなたのついていない日が、ついている日とただ、等しいことを、一度、あなたが認識すれば、本当には悪いものや良いものはないことが分かります。それはただの表現に過ぎないことが。その瞬間に起こっていることだということが。不意にあなたは、実際、良いものも悪いものもないことに気づくのです。

あなたの感情、気分の状態は、中和していません・・・ 言い換えれば、釣り合いをとることで、フィーリングや感情がなくなるようにはしていません・・・ あなたは実際、表現の最高の状態へとそれらを融合しているのです。その瞬間に、何であれ、ついていない日だと判断することなく、疲れを感じるとか、落ち込んでいると判断することなく、受け入れているのです。なぜなら、疲れを感じるたびに、統一された状態で、まさにそこにともにあるのにあなたが気づいていないのは、エネルギッシュな感覚だからです。悲しく感じるたびに - 人生で何かを手放すことに感じる悲しみ - 幸せと喜びに満ちた、自由な、統一されたエネルギーもまた、そこにはあるのです。自分が腹を立てていることに判断するたびに、そこに並んであるのは、実際、そこに統合され、完璧に織り込まれているものは、幸せで、気楽な、心を開いたエネルギーなのです。

人間に良くありがちな、このような気分のむらに入り込んでいる時に低い壁の裏に立てば、そのような気分のむらを、ドラマで強化する必要がないのに気づきます。そこにある状態を判断することで出て来るドラマ。「ああ、私はどうしてしまったのか? なぜ、ついていないのか?」というものから来るドラマ。あわててリーダー(占い師)のもとへ行ったり、占星術のチャートを見て、上にまします神がなぜ、このようなものをあなたに押し付けているのか、というようなドラマ。あなたは、それがあなたであることに気づいています。あなたはただ、その特定の瞬間の表現に、あるいは側面に焦点を合わせているに過ぎないのです。でも、まさにそこに統一されたものが、他のすべての表現です。

さあ、低い壁の裏に座って下さい。その瞬間に、その感情にあるあなたを、観察して下さい。悲しみを観察して下さい。それを抹殺しようとはしないで下さい。否定しようとはしないで下さい。それを観察して下さい。その特定の日の悲しんでいるあなたを座って観察していると、リラックスしていると、不安を捨て去ると、幸せなあなたもまた、見始めるようになります。充足したあなたを、無邪気なあなたを、愚かなあなたを - あらゆる様々な側面を - その瞬間、そのどれも、あなたの人生を導いたり、コントロールすることはないのに気づくのです。あなたは自分がすべての側面を、表現できるのが選べることに気づきます。どの側面も選ばず、あるいはその瞬間のあなた自身のわずかな側面だけを選べることに。

私たちがこの特定の日に、この点を持ち出したのは、メタフィジシャンたちの慣習として - いわゆる - 良い思考、ハッピーな思考に焦点を合わせようとすることがあるからです。これだけのマインドの動きと、思考のコントロールは、ただあなたをトラブルに陥れるだけです。なぜなら、ひとたびあなたがそのようなコントロールをマインドに割り当てると、マインドだけにそのようなガイダンスを与え、マインドに良い、悪いを判断させ、他の感情を抑えたり、鎮めようとすれば、あなたは自分自身の一部を否定することになるからです。あなたが自分の一部を否定するたびに、それは別の次元へと出て行きます。それは存在します。それはリアルです。そしてそれはあなたの注意を引くために戻って来ます。

ですから大切なことは、気分のむらがある時は、時間をとることです。1つ、2つ、3つ、呼吸をして下さい。あなた自身の低い壁の裏に行き、その瞬間のあなたを観察して、そのあなたにはたくさんの、たくさんの他の表現があることに気づくことです。

それが最初にするのは、その瞬間の不安を克服させてくれることです。あの、「なぜ、私が? 私は何か間違ったことをしたのだろうか? 自分を完璧にするために必要なのは何?」というものから抜け出させてくれます。不安を手放すこの瞬間に、あなたはおそらく、本当はあなたのものではないものに、本当は完全なあなたではないものに、あまりにも巻き込まれてしまったことに、大笑いするでしょう。それはとても解放感のある体験ですが、私が言ったように、中にはそのことに苦労する人もいるかもしれません。なぜなら、あなたは自分のドラマから養われるのに慣れているからです。あなたはこのようなドラマの状況や、感情、気分のむらを持つのに慣れていて、それがかろうじて、あなたを生かしてきたからです。もし低い壁の裏に立てば、本当に退屈になるのではないか、とあなたは怖れます。すべてが中和するのではないか。すべてがとても、とても - 何と言うか - 実に退屈になるのではないか。まったくそうではありません。

あなたがこれをして、自分に自分をみつめさせてあげれば、もっとずっと多くの深みと次元があるのに気づくでしょう。あなたの人生が意味を帯びて、エキサイティングなものであるために、ドラマを注入する必要はありません。説明するのはとても難しいのですが、それは精神的なものでも、感情的なものでもないからですが、新しい深みをあなたは見出すことになります。それはあなたという完全な表現です。そうするとあなたは、本当の、個人的な創造性とは何かを理解するでしょう。言い換えれば、あらゆる瞬間に自分自身をどのように創造するか、ということが。あなた自身の人生に、完全な再生と、興味を与えるでしょう。

つまり、あなたは - あなた方の多くが - 自分自身の人生に興味を失っていました。ただその人生を、ある種、続けてきただけでしたが、本当にそれに対する興味を失っていました。私は最近、数多くの「情熱」のワークショップの最初のものをいわゆるフィンランドという壮大な場所で行いました。私たちは、本物の情熱に至ることについて、自分に対して、人生に対して再び、夢中になることについて、話をしました。私たちはこれをさらに続けていきます。その体験には、ドラマから抜け出すということ、低い壁の裏に行くということがあります。

クラウスの物語(The story of Klaus)

では、水をひとくち飲んでから、短い物語を話したいと思います。(聴衆、「あー」、「イェー!」と言う。トバイアス、クスクス、笑う) 深呼吸をして、短い次元に入りましょう!(笑)

私は、クラウスという名の親愛なるおもちゃ職人についての物語を話したいと思います。彼は随分前にオーストリアの地に住んでいましたが、まったく遠い昔の話ではありません。深呼吸をして、エネルギーを感じて下さい。というのは、それは言葉で語られる物語だけではないからです。それはフィーリングの物語です。エネルギーの物語です。あなた方1人ひとりの物語です。

12歳の時、クラウスは、地元のおもちゃ職人のもとへ、見習いとして働きに行くことになりました。クラウスは手を使って作業をするのがずっと好きで、木をいじっては、そこから何かを創り出していました。とても幼い少年の頃には、手にナイフを持ち、何時間も木を削り取っていたものでした。特に何かを創り出すわけではなく、ただ、木の感触が、ナイフの、自分がたまたま創り出しているものの感触が好きだったのです。そこで、12歳になると、両親が言いました。「クラウス、もう自分で生計を立てる時期だ。人生で何かをする時期だ。」 両親は彼を、地元のおもちゃ職人のもとに働きに出しました。

さて、親方は、おもちゃ職人の親方は、その職に熟練した技を持っていました。彼のおもちゃの質と耐久性の良さは、広く遠くまで知られていました。彼は小さなおもちゃの兵士を作るのを専門にしていました - およそ1フィートほどの高さの小さな兵士でした。彼は、軍のあらゆる階級や地位にあるおもちゃの兵士を作りました。彼はヨーロッパ中に知れ渡っていたので、おもちゃの兵士に様々な国の制服を着せて、ヨーロッパ中に発送していました。

さて、クラウスは・・・ クラウスは生まれつき才能があり、優れていたので、親方に教えられた手法や手順をあっという間に習得しました。彼はおもちゃの兵士を作るためのナイフや紙やすりのようなあらゆる道具に熟達しましたが、クラウスの注意は散漫になりがちでした。そのようなおもちゃの木製の兵士を作ることにエネルギーをすべて集中していない時は、木を様々な別のものに形作っていたのでした。

ある日には、ナイフとのこぎり、他のあらゆる道具を使い、おもちゃの兵士を作る代わりに、彼はせっせと小さなおもちゃの木製のクマを作ったものでした。またある日には、小さなおもちゃの人形を作りました。当然ながら、このことは親方の気分を著しく害しました。親方は、クラウスが優れて才能があるのを認めていましたが、貴重な労働時間にこのような別の創作を行うことで時間を無駄にするのは、面白くありませんでした。彼はよく、クラウスをこう言っては叱りました。「おもちゃのクマを買うことには誰も関心はない。子供や赤ちゃんの木製の彫像を買うことには、まったく誰も興味はないのだ。私たちは、兵士の職人として知られているから、それがおまえがやることだ。」 彼は自分の職は好きでしたが、型にはめられるのは大嫌いでした。ですから見習いとしての10年間、彼は集中しておもちゃの兵士を作り続けるのを、とても困難に思いました。

そういうわけで、10年たつと、ある日、彼は親方のもとへ行き - 10年たったその日に - 彼は親方のもとへ行き、言いました。「親方、教えていただいたことに恩義を感じています。木、塗料、シルクや布について学んだものすべてに。でも、もう、出て行って、自分でやる時です。自分が創りたいものを何でも創ることのできる自分の店を構える時がきました。」

親方はクラウスを笑い飛ばし、言いました。「君、君は才能があり、優れているが、仕事の上では落伍者だ。人々がほしいものが、君には分かってはいない。集中力も、方向性も持ち合わせていない。君は空想家だ。放浪者だ。見習いとしての君の奉仕に感謝はするが、同時に、君がいなくなってホッとするよ。君は私の人生に多くの苦悩と懸念を引き起こしたのだから。」

そこで、おもちゃ職人の見習いとして集めたわずかな蓄えと、何人かの友人の助けを得て、クラウスは「クラウス・トイ・メイキング・ドール・ショップ」をオープンしました。クラウスは彼の情熱の中にありました。もう、自分が選ぶどんな種類の木も注文することができたからです。当然、彼は最高のものしか選びませんでした。自分が創る人形やおもちゃがリアルになるように、彼はイタリアから、最高級の顔料を注文し、塗料に使いました。当然、彼は、フランスや、遥か遠くインドから最高級のシルクや布を注文しました。

クラウスは、完璧さに執心していました - 彼の完璧さに - 自分がどんな種類のおもちゃの人形を創るかは、彼にはどうでもよいことでした。1つのものに集中したくありませんでした。兵士や王族のようなものには集中したくありませんでした。彼の最大の喜びは、毎朝、店を開け、彼の創作になる木と塗料、材料の香りを嗅ぎ、店の奥にこもって仕事を始めることでした。

クラウスは、すぐに自分が本当に仕事が大好きなことに気づきました。昼の間は邪魔されたくなかったので、店を手伝う人さえ、雇いませんでした。彼だけでした。彼は店の奥にこもって、その瞬間に自分が創造しているものが何なのかさえ分からずに木を削り、のこぎりで切り、やすりをかけるのが大好きでした。それはただ、姿を現したのです。彼はあまりにも仕事に夢中になったので、客が買いに来て、玄関のベルが鳴っても、よく無視しました。ええ、彼らはやって来ました。村だけでなく、その地方のあちこちからやって来ました。クラウスのおもちゃの人形は、魅力的だったからです。他にはないリアルさがありました。実際、人形に命が吹き込まれたように思える、と言う人さえ、いました。でも、クラウスはあまりたくさんは売りませんでした。創る方に夢中だったからです。ビジネスの顧客の面には注意を向けていませんでした。

クラウスは木の塊を手に座り、ただ、それを感じました。木の質感を感じました。その木目と堅さ、質を感じました。近づけて、それとともに呼吸しました - ある人にとっては、それは奇妙に思えたかもしれませんが。完成したらその塊がどんな形になるか、ということには注意を向けようとしませんでした。ただ、自分の手に作業を始めさせ、その木の塊が、彼自身の表現へと入ったら、彼はそれを切り、やすりをかけ、形作るのに完全に熱中しました。

ある日、彼は子供を、赤ちゃんを作りました。削り取り、縫い合わせながら、彼は最高級のレザーから小さな靴まで作り、最上の糸を使い、実際、自分が赤ちゃんだった頃のことを想像していました。母親の腕に抱かれて、優しくあやされていたことを。このフィーリングが、この情熱が、彼から木の塊に流れこみ、とても美しい赤ちゃんへと姿を変えました。塗料で細かい細部の部分を作り上げていると、文字通り、赤ちゃんに命が宿ったように思えました。彼はじきじきに、すべての服を縫い上げました。自分で髪をつけました。彼は、あなた方の多くがよく、夢中になったように、その作業の、表現の瞬間の美に夢中になりました。彼は自分が創った1つひとつの人形を愛していました。

彼は森の中の妖精に似た、小さな人形を作るのが好きでした。とても幼い頃に見た記憶があるものです。彼はあの、素晴らしい家族を見た時のことを覚えています・・・ 彼の家族というわけではなく、通りを歩いていた家族です・・・ その家族の一員だったらどんなだっただろう、と想像したのです - 小さな子供たちと幸せそうな両親は全員、日曜日の上等な洋服を着て、教会に出かけています - 彼はこの家族を彫り、創作を始めました。洋服を着せ、祝福しました。家族全体を創作しました。

彼はまた、このような奇妙な種類の人形を創ることでも広く知られていました。彼はそれを聖人と呼びましたが、よく教会にいるような聖人には見えませんでした。人間のようなとげとげしい容貌を持たない、天使の存在でした。彼がこの木の人形の形に命を与えた聖人の名を訊くと、何かぶつぶつ、名前をつぶやいたものでした - 「聖XX」(トバイアス、ぶつぶつ言う) - そこで人々は自分で名前を創り出しては、言いました。「ああ、これは聖デメトリオスだ。これは聖クリストファーだ。これは聖なんとかだ。」 彼らにはどうでも良いことでした。客たちはこのように美しい聖人へと彫られた人形がとても気に入ったからです。

クラウスはほとんどあらゆるものから人形を創りました。王や女王に似た人形を創りました。当時、実際に王位に就いていた王や女王ではなく、彼が自分の内側で感じていた王と女王でした。彼は彫りながら・・・ 「王になるのはどんなものだろうか - 私自身の王に?」 彼はそうして、木から彫っては、布を縫い合わせ、塗料で完成させました。

さて、ポイントがお分かりでしょう。クラウスは彼の仕事を愛していました。あまりにも愛していたので、彼が創ったすべての人形に、エネルギーが注入されました。その人形に命が与えられました。それは彼の愛の、彼の違う部分の、彼の望み、欲求、イマジネーションのエネルギーを携えていたのです。

さて、年月が経ちましたが、クラウスは木の人形をほとんど売っていないのに気づきました。実際、そのために、需要以上のものが起こっていました。買いに来た人々は、彼のサービスと心遣いの欠如に不満を持ち、腹を立てました。彼の店は閉まっているのがしょっちゅうでしたが、裏で作業しているのは見ることができました。友人や町の人たちは言いました。「クラウス、誰か、雇ったらどうだい? もっとたくさんの人形が売れるよ。とても金持ちになれるだろう。君の人形は、国中のどの人形にもない完璧さと、ある種のエネルギー、ある種の生命力で有名だからね。」 クラウスは必ずしも誰か他の人と一緒に働きたいとは思いませんでした。でも、真の動機は、クラウスは、本当は人形を売りたくなかったのです。彼はあまりにもそれに愛着を感じていました。奥の彼の部屋には、想像もつかないほど最高の木のおもちゃの人形が何千となく並べられていました。動物もあれば、たくさんの天使たちや森の妖精、そして今、棚の上にはたくさんの様々な種類の人間が飾られていました。

年月が過ぎ、クラウスは老人になろうとしていました。彼は人生に満足していました。結婚をすることはありませんでした。子供を持つことはありませんでした。他の人たちと何かをすることはほとんど、ありませんでした。仕事を愛していたからです。それが彼の家族でした。年月が経つと、クラウスは視力がとても弱ってきているのに気づくようになりました。メガネをかけても、細かい細部に焦点を合わせるのは困難でした - 目の瞳を塗る時や、創作したものの衣服やマントを縫うことが。彼はまた、手もとても痛むようになったのに気づきました。関節を動かすのがつらくなり、かつては2、3日で人形を完成したのに、今ではその2倍、3倍も時間がかかるようになっていました。

彼はある日、深いため息をついて、人形職人としての自分の時代が終わりを告げたことに気づきました。少し、悲しみはありましたが、彼の作業場に並んでいるすべての人形を見ると、自分が本当に1人ではないのが分かりました。

そこである日、クラウスは隠居するのを決心しました。彼は、隠居して、快適でいられるためには、ご飯を食べて、衣服を持ち、またおそらく少し旅行するためには、人形をすべて、売らなければならないことは分かっていました。これは彼に大きな悲しみをもたらしましたが、自由の感覚もまた、もたらしました。彼は何年も、それを楽しんできました。人形の中には、棚の上に40年間も置かれていたものもあります。もう、手放す時だというのに彼は気づきました。そこで彼は店の前に、「すべての品物を売り出し中」という大きな看板を出しました。若い友人を雇って、在庫をすべて、売りに出しました。一般に開放したのです。数日のうちに、店にあった人形はすべて、売れました - ええ、当然、プレミアつきの値段で - クラウスが隠居するに必要な額、あらゆる快適さを与えてくれるものでした。

さて、店は空っぽになりました。客は去り、人形はいなくなりました。ええ、クラウスは感情の、気分のむらを持ちました。少し、悲しく、虚しさを感じました。残りの人生で何をすれば良いのか、良くわかりませんでした。短い物語です・・・(笑)

クラウスは、町を散歩することに決めました。長い年月の間、彼はほとんど見て回ることがありませんでしたが、もう、そういうことをし始める時でした。都市のそばを流れる川沿いの道を歩いていると、子供たちと犬を散歩させている若いカップルに出会いました。彼はすぐにその犬を認めました。彼は言いました。「私はちょうどあんな犬を彫った - 同じ目で、同じ毛だ。ああ、たぶん、犬というのは犬に見えるものなのだろう。おそらく、ただの偶然だ。」

都市へ近づいていくと、クラウスはただならぬ風貌の男に出会いました。かなりエキセントリックで、普通と違う外見をしていました。クラウスはすぐに彼を自分の人形の1つと認め、彼を呼び止めて言いました。「あなた様は、何をされている方でしょうか?」 するとこの男は、いくぶん、驚いて言いました。「私は詩人です。物語作家で、放浪者です。あなたは?」 彼は言いました。「私はクラウスです。以前は人形職人でした。前にお会いしたことがあるのではないかと思ったので。」 すると詩人は、首を振り、言いました。「いいえ。」 そして道を進んでいきました。

クラウスは歩き続けました。彼はティーンエイジャーの男の子に出会い、すぐにまた、彼の人形の1人であるのを認めました。何かとても奇妙なことが、ここで起こっているのだ、と彼は思い始めていました。彼は少年を呼び止めて、家族や経歴について訊きました。どこから来たのか。少年は怯えたようでした。この老人が質問することに怯え、逃げていきました。その日一日、クラウスは自分の人形そっくりの人々や動物、さらには天使たちに遭遇しました。

これは明らかにクラウスを当惑させました。何が起こっているのか、良く分からなかったのです。そこで彼は、作業場に戻り、座り込んで、ずっと考えました。彼が今になって、生きた、生き生きとした形の - 生物の形状をした人形に遭遇するのはなぜなのか? それについて考えて、彼は言いました。「ここで何が起こっているか、調べなくては。」 そこで彼は大きな晩餐会を計画し、通りに出て行き、再び、彼が会ったたくさんの人たちに遭遇しました - 中には新しく会った人たちもいました - すべて、彼の人形にそっくりでした。彼は町で最高級のレストランで開かれる華やかな祝宴への招待状を彼らに渡しました。クラウスはここで起こっていることを調べることに決意を固めていました。そしてすべての ・・・ええ、人々かもしれない、人形かもしれない者たちを集めることで、本当に起こっていることを発見できると思ったのです。

さて、華やかな祝宴の夜がやって来て、最高級の食べ物とワインが供されました。食事の前に、クラウスはいまだ、起こっていることに疑問を持ちながら、命を吹き込まれたかのような彼のすべての人形との出会いにいまだ、圧倒されながら、ウエイターにワインを注がせました - 最高級の白ワインを - 席についたすべての人のために。彼はグラスを持ち上げて、言いました。「あなたへ。」 彼らが口をつけたその瞬間、レストランに座っていたすべての者が、消えました。クラウスは、その瞬間、そもそも彼らは皆、自分の一部だったことに気づいたのです。彼らは皆、彼自身の表現でした。今、彼は彼らを故郷へ連れ帰ったのです。彼自身の中へと連れ戻したのです。

その統合の瞬間、クラウスは深呼吸をして、ワインをひとくち飲んで、自分に言いました。「J'encore. 私は再び、私に出会う。」「J'encore.」 彼は片言のフランス語で言いました。ここにいるカウルダーのように。(トバイアスはクスクス、笑う) 「再び、私に。私は再び、自分自身に出会う。」

その彼のあらゆる部分の統合の瞬間に、クラウスは残りの人生で何をするかに気づきました。彼はマスターの教師になるのです。人形職人になりたい少年たちや若い男性を集めて、おもちゃの兵士や王族や、何か1つだけを作るように言うのではなく、イマジネーションを使うように教えるのだ、彼らが想像したいものを何でも、その最高級のものを創るために、自分自身の一部を使うのを教えるのだ、と。彼は「クラウスのトイ・メイキング・ドール・スクール」を開き、最も成功した教師の1人になりました。



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